特集FEATURE
ウフフな、横浜中華街。
カップルに、家族連れ、女子会グループや、おじさん集団も! まるで横浜中華街に吸い寄せられたかのようにやってきて、ウロウロ、キョロキョロ。そうそう、なんかここには、なんかある気がするのです。ライター・千谷文子もいろいろ発見してきました♪
2018/01/15
浜っ子が崎陽軒に惚れるワケ
その名も“シウマイ娘さん”から投稿をいただきました。「崎陽軒の魅力的な商品は? 横浜中華街に複数あるけどお店の違いはあるの? 取材してください」。ということで行ってきました。浜っ子が愛してやまない崎陽軒、その歴史をひもとくと横浜中華街と深〜い関係で結ばれていましたよ。
90年前、中華街の点心職人をスカウト!
ワタシごとですが、横浜出身の夫と結婚してから崎陽軒がグンと身近なものになりました。外出の度に「帰りに崎陽軒よろしく」と手土産を頼まれ、実家に帰れば義母が看板商品の「昔ながらのシウマイ」を持たせてくれます。そのシウマイを、小学生の夫は友人の誕生会でプレゼントしたのだとか(v_v) 熱の入れようはさまざまですが、とにかく浜っ子は根強いファンが多いようです。歴史を遡ると、それも納得!
創業は明治41年。横浜駅構内(現在のJR桜木町駅)で牛乳、サイダー、ミルク、餅を販売していました。シウマイが誕生したのは昭和3年。初代社長が横浜名物となる商品開発を切望し、横浜中華街の各店舗でつきだしに供されていたシューマイに着目。既に駅弁を販売していたことから「冷めてもおいしく、揺れる車内でもこぼなさい一口サイズ」を目指して試行錯誤。横浜中華街の点心職人・呉遇孫さんをスカウトし、社長も自ら厨房に入って、ようやく1年後に誕生したレシピが今も変わらず受け継がれているのです。
浜っ子に大ウケ、「空から無料券が降ってきたー!」
実はシウマイが誕生した昭和初期当時、売り上げは芳しくなかったそうです。そこで出した秘策が“空から降る無料引換券” 。小型飛行機に「崎陽軒シウマイ」とフラッグをなびかせ、天空から無料引換券付きの宣伝ビラをばらまくという豪快な遊び心に、浜っ子は大喜び! 口コミも広がって、崎陽軒のシウマイが認知されるようになりました。
さらなる戦略も大当たり! 昭和25年、戦後の傷跡が深く、まだ復興していなかった横浜駅に笑顔のシウマイ娘が登場したのです。東海道線を中心に乗客たちに元気をもたらし、なんと松竹映画『やっさもっさ』のヒロインにもなって飛躍的にシウマイの売り上げが伸びました。
初代・しょう油入れの作者は
『フクちゃん』の横山隆一さん
「昔ながらのシウマイ」に入っている、ひょうたんの形をしたしょう油入れ“ひょうちゃん”も、シウマイ娘と並ぶ人気者。戦前から戦後はガラス製だったけれど磁器になり、昭和30年には漫画『フクちゃん』の作者・横山隆一さんが描く“ひょうちゃん”が登場しました。もったいなくて捨てられず、箸置きにしている人も多いのでは。
中華街限定シウマイの秘密は、生薬
今回の取材依頼をしてくだった、投稿者・シウマイ娘さんから「横浜中華街の複数店に違いはあるの? ライバルにならない?」と質問がありました。広報の伊藤 亮さんに聞いてみましょう。
「便利にご利用いただくために3店舗あり、決してライバル視はしていません。商品のラインナップに大きな違いはございませんが、中華街の中心にある中華街大通り店は観光客の方が多いようです。崎陽軒 中華街東門店は中華街の入口にあるため、周辺企業の方がランチでお弁当を購入してくださったり、地域にお住まいの方が気軽にご利用してくださったり、お客様の層が少し違うようです。そうそう、横浜中華街には限定商品もあるのでチェックしてくださいね!」。
千谷'sメモ
崎陽軒レポート、おシウマイで〜す♪
当コラムのライターさん
ライター千谷文子
ちだにあやこ/夫が横浜出身というだけで白羽の矢が。40代後半戦、ワクワク探しの好奇心は衰えず。愛犬との散歩で鍛えた健脚で、横浜中華街を歩き倒します!