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WITH MY CHINA TOWN
“香港からきた妖精”と愛され、アグネス・ブームを巻き起こしたのは17歳の頃。後に雑誌の仕事をきっかけに横浜中華街とご縁が深まったそう。今年は日本デビュー45周年記念コンサートを成功させ、ユニセフ・アジア親善大使として世界の子どもたちをつぶさに視察。著書は間もなく90冊を迎えます。そのエネルギー源も、ずっと変わらぬ愛らしさの源も気になるところ。世界平和を願い、和平くんと名付けた長男との肖像画を飾るお部屋で、じっくりと伺いました。
ふるさとのような、横浜中華街の春節
─生まれ育った香港を離れ、異国の日本にやってきたデビュー当時。ロングへアにミニスカートでステージに立つ姿が今も印象に残っていますが、どんな暮らしだったのでしょうか?
アグネス:事務所の社長の家に住み込みをしていました。仕事が忙しくて、食事は大半がお弁当。中国では冷めたご飯をあまり食べないので、冷めたご飯、冷めたおかずに苦労しましたね。たまにお茶を出していただくと、お茶漬けに(笑)。
テレビ局ではマネージャーが出前をとってくれたけれど、毎回、中華丼。私が中国人なので気遣ってくれたんです。日本語もよく分からないから他のメニューを頼むこともできず、まぁ、本当に飽きました(笑)。食生活は厳しかったですね。
ー日本の中華料理は、ふるさとの味とは違いましたか?
アグネス:当時は、日本人に合うようにアレンジされた、甘みが強く、ソースがこってりした餡かけが多かった。本格的な中華料理はやっぱり横浜に行かなければ、という感じでした。
ー中国人から見た横浜中華街は、どんな場所ですか?
アグネス:最初は、雑誌の取材で連れて行ってもらったと思うんです。本格的な中華料理店が軒を連ね、お菓子も売っていて、飲茶もできる。「横浜に住みたい!」って思いました。後に浜っ子と結婚し、横浜市内に住むことになったんですが、彼が建ててくれた家は横浜中華街からちょっと遠かった(笑)。それでも、少しずつ足を運ぶ回数が増えていきました。
春節に一度だけ連れていってもらったことがあって。踊りを見たり、目の前で爆竹が打ち鳴らされたり。ふるさとに帰ったような懐かしい気持ちでとても楽しかった。嬉しい記憶ですね。
体に足りないものを食で補う「薬補不如食補」の暮らし
ー今日はアグネスさんがよく行かれる、「馬さんの店龍仙 本店」の馬 双喜さんも同席していますが、このお店のお気に入りのポイントは?
アグネス:最初に食べたのは、おかゆ、揚げパン、餃子、焼売など素朴なもの。あとは干し豆腐を調理した一皿とか、今までなかなか食べられなかった上海料理が出てきました。しかも良心的な価格で。地元のコックさんが訪れる、プロが通うお店なんですよね。次第にお父さんと話すようになり、娘の馬さんとも親しくなって。どんどんお店の数も増えましたよね。
馬:ありがとうございます。アグネスさんは料理も好きなので、横浜中華街で食材を買われることもありますよね。
アグネス:本格的なチャーシュー、鴨、アヒル。野菜も他ではなかなか手にできないものがあります。カイランというブロッコリーを細くしたような茎野菜、トウミョウも日本のものとは違うし、瓜類もたくさん。調味料や漢方薬も購入します。テレビ神奈川で月1回の収録があった頃は、横浜中華街に寄って買い物をして帰るのがルーチンでした。同郷の人たちなので、みんな優しくてよくしてくれる。それも嬉しいんです。
ー中国人の皆さんは、料理人でなくても食に詳しく、食べ物で体をコントロールしています。やっぱりアグネスさんのエネルギーの源、美の源は、食にあるのではないでしょうか。
アグネス:確かに中国には「薬補不如食補」という言葉があり、結婚してからは特に食は大事にしています。体に足りないものを薬ではなく、食事で補うという意味です。薬膳料理は、学校で教わるものではなく、家庭で代々受け継がれるもの。私も母から教わった薬膳料理を実践してきました。この季節、秋に母がよく作ってくれたのは栗と鶏の煮込み。これがとっても美味しい! 味付けはどちらかというと貴州料理。四川より辛いと言われる山の料理です。私は歌っていたこともあって辛いのが苦手なので、いつも大人用と子ども用を作ってくれていました。兄弟の中では激辛派になった人もいますよ(笑)。
柔らかくもパワーがあり、安心できる歌声
日本デビュー45周年記念コンサートでは、第1部でアイドル時代の名曲、第2部で海外での楽曲や平和の歌を熱唱した
ー歌のお話が出ましたが、今年は日本デビュー45周年記念コンサートも盛大に開かれました。
馬:実は、私も客席にいたんですよ。声がね、年齢を重ねるほどに素晴らしい。柔らかくてパワーがあって、安心できる。もう、涙が出てくるんです。
アグネス:子育てから離れて練習する機会も増えました。あとは2007年に乳がんが見つかりましたが、その治療を終えたことも大きいですね。本当に嬉しい言葉です。ありがとうございます。
Profile
アグネス・チャン
[アグネス・チャンオフィシャルサイト]
http://www.agneschan.gr.jp
香港生まれ。中学はミッションスクールに通い、“マリアさまの応援団”と称したボランティア活動を行う。フォークソング部に所属してギターを覚え、チャリティーコンサートに参加したところスカウト。『サークル・ゲーム』が香港で記録的なヒットを飛ばして、一躍アイドルに。日本デビューは1972年、17歳の時。“香港からきた妖精”と呼ばれ『ひなげしの花』が大ヒット、アグネス・ブームが巻き起こる。
その後、上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学で社会児童心理学を学ぶ。1994年には、子育てをしながら米国スタンフォード大学教育学博士号を取得した。
1998年、日本ユニセフ協会大使に就任。以来タイ、スーダン、東西ティモール、フィリピン、カンボジア、イラクなど視察を続け、各国の現状を広くマスコミにアピール。
2006年には全米アルバムデビュー、2016年に日本デビュー45周年を迎えた。日本レコード大賞など数々の芸能賞を受賞。また国際青年記念平和論文で特別賞受賞、ペスタロッチー教育賞受賞など、社会活動も高く評価されている。ユニセフ・アジア親善大使、香港・浸会大学客員教授としても活躍。
執筆活動も精力的。エッセー、小説、中国語講座、英会話講座、絵本の翻訳など多岐に出版。料理本も多く『アグネス・マイ・中華』、『アグネス流エイジング 薬膳デトックス』、『アグネス・チャンの命を育むスープ』など。また『みんな地球に生きるひと』シリーズはpart4まで続くロングセラーで、都立高校の入試問題にも採用された。『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』は香港では全出版物の年間ベストセラーに。そして2018年2月には、おそらく90冊目となる「子育ての時に子どもにやってはいけないこと」をまとめた1冊を発売予定。アグネスママの教育を受けた、長男・和平さんの意見も織り交ぜた親子の共著。*写真は中国語で書かれた自伝。